集団下校今昔

電車通学、電車通勤は都会の人の特権だと思っていた。ラッシュが大変という話は噂程度に聞くけれど、大都市の地上地下にはりめぐらされた交通網の中で想像もできないほどの人々が毎日行ったり来たりするさまには近未来的なかっこよさがあり、その一部となって大都市を縦横にかけめぐる自分を想像すると胸がときめいた。
もちろん地元でも電車通学をしている友達は一定数いた。でも都会の電車通学とはわけが違う。地元を走る電車はといえば、頑張れば自転車で追い抜ける路面電車、郊外と市の中心部(と呼べるかどうか疑いの余地あり)を結ぶ電車、あとはJR。JRに対する意識も地元と都会のそれでまったく違う。私たちにとってJRは街と街を結ぶものだった。かなり大ざっぱに喩えようとするならば、東京の次が吉祥寺、その次が八王子くらいの感覚。市内に住んでいる人間には、まず縁がない。だから通学といえばたいていは自転車で、さらに私のように家と学校が近いと、同じ方面の誰かと連れ立って家に帰るということもほとんどなかった。

上京して、人生初めての電車通学が始まった。通勤通学ラッシュは予想以上で、クラスメートの誰かが「四次元ポケット」と呼んでいたのも納得。それでも、みんなで同じ電車に乗り合わせて帰途につくのは楽しくて和やか。これが都会の「集団下校」なんだなぁと思うと、案外悪くないように感じられた。
ただ都会というのは少し語弊があるかもしれない。終点以外には、2か所しか乗り換え駅がない路線。電車は5両編成。地上を走る。駅間が近いところでは、次の駅のホームがかすかに見える。初めての人間には比較的とっつきやすい路線だったといえるだろう。ほとんどの友人は沿線の同じ方向に住んでいて、「○○駅=△△の家」のように、それぞれの駅と結びつく友人の顔があった。2年間住み、最寄り駅と大学の最寄り駅の間のすべての駅で一度は下車した。学生街、住宅街、物流拠点など、それぞれの駅=街に異なる表情があるのが好きだった。

就職をして、同じく都内だが別の路線を使うことになった。乗車区間は同じく8駅分、同僚の多くが同じ路線を利用して帰る。通勤通学ラッシュはやはり厳しい。集団下校は集団帰宅へとグレードアップしたわけだが、どこかそっけない。
明確な違いの一つ目としては、電車が地下であること。同行している人とちょっと話題に困ったときの目のやり場がない。会話が続かないとついスマホに目をやってしまう(一抹の罪悪感を覚えながら)。また当然のことではあるが、地下鉄には風景の移り変わりがない。駅間の真っ暗闇はもちろん、駅のホーム同士にも大きな見た目上の変化はなく、ただ物理的に移動しているだけ…という印象がつきまとう。
違いの二つ目、乗り換え駅の多さ。職場までのすべての駅が他の路線(しかも都心と郊外を結ぶ線)との乗り換え駅だ。こうなると自然と、「○○駅=△△さんの家」よりも「△△さんの乗り換え駅」という例の方が多くなる。したがって、その駅にまつわるストーリーを聞く機会が限られていて、「住んでいる」感覚と結びつきにくい。

今の路線を使い始めて2年が経った。何だかんだですべての駅で下車する用事もあった。でも、かつて上京後すぐに感じていた「ホーム」感がない。もしかしたら、いま体験しているこれこそが真の都会の電車通勤なのかもしれない。考えてみればそうだ。地下にあって、乗り換え駅が多いなんて何ら珍しいことではない。むしろ最初に経験した集団下校の安心感を愛し過ぎたのだ。最近になって、やっとそう思うに至ったのだった。